――投資家として、親として、子どもに何をどう伝えるか
子どもにとって「勉強」とは何だろうか。
学校のテストで点を取ることだろうか。
それとも、将来を生き抜くための力を身につけることだろうか。
もちろん、学校の勉強は大切だ。読み書き計算、論理的思考、基礎的な教養。これらが不要だとはまったく思っていない。ただ一方で、僕自身の人生を振り返ると、学校ではほとんど教えられなかった分野が、その後の生き方を決定づけてきたという事実も否定できない。
それが「お金」と「商業」の世界だった。
生き方の選択としての「学び」
僕は、いわゆるエリートコースを歩んできたわけではない。
むしろ、学力不足という理由で商業科に進み、そこで簿記や商業的な考え方に触れた。
だが結果的に、それが投資・仕事・人生全体を貫く思考の土台になった。
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お金は感情ではなく構造で動く
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利益とキャッシュフローは別物
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成長と安定はトレードオフ
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壊れない選択を積み上げることが最優先
こうした考え方は、机上の学問ではなく、商業や会計の世界から自然と身についたものだ。
だからこそ今、親として考える。
この視点を、どうすれば子どもに無理なく伝えられるのだろうかと。
「教える」より「体験させる」
大人はつい、説明したくなる。
正解を先に言いたくなる。
だが、振り返ってみれば自分自身も、誰かに教えられて腑に落ちたことより、体験を通じて理解したことの方が圧倒的に記憶に残っている。
だからこそ、子どもへの金融教育も「教科」ではなく「体験」から入るべきだと思っている。
その点で、よく引き合いに出されるのが「モノポリー」だ。
資産を買い、賃料を得て、破産を避けながら勝ちを目指す。
確かに素晴らしいゲームだと思う。
だが、もう一つ、僕が密かに注目しているゲームがある。
「いただきストリート」という金融シミュレーター
「いただきストリート」というテレビゲームをご存知だろうか。
双六のようにマスを進み、不動産を購入し、そのストリートの株式を買うことで価値を高めていくゲームだ。
このゲームが面白いのは、
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不動産という実物資産
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株式という金融資産
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成長・増資・買収
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天災やイベントによる価格変動
これらが、一つのゲームの中で自然に結びついている点だ。
子どもの頃は、ただ勝つために遊んでいた。
だが今、大人の目で見ると、これは非常に完成度の高い経済シミュレーションだと感じる。
現実世界とリンクさせる面白さ
たとえば、子どもと一緒にゲームをしながら、こんな会話ができる。
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「このストリートの株を持ってると、なんで有利なんだと思う?」
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「天災が起きたら、現実の会社だとどうなるかな?」
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「不動産だけ持ってるのと、株も持ってるの、どっちが安定しそう?」
これは「投資を教えている」というより、世界の仕組みを一緒に考えているに近い。
投資哲学の多くは、こうした問いの積み重ねから自然に生まれる。
投資哲学は「勝ち方」ではなく「壊れない考え方」
僕の投資哲学は、派手さとは無縁だ。
一発逆転も狙わないし、過度なレバレッジも取らない。
それは臆病だからではない。
壊れないことが、最終的に一番強いと思っているからだ。
この感覚は、ゲームを通じても伝えられる。
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一点集中すると、イベント一つで詰む
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余力があると、次の一手が打てる
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キャッシュがあると、チャンスに対応できる
- 定期的な収入が安定をもたらす
これらはすべて、現実の投資とまったく同じだ。
学校の勉強 vs 商業的な勉強、ではない
ここで誤解してほしくないのは、学校の勉強を否定したいわけではないということだ。
学校の勉強は、選択肢を広げる。
一方で、商業的・金融的な学びは、選択の質を高める。
どちらが正しい、どちらが上、という話ではない。
両方あって初めて、「自分で選べる人生」になる。
子どもに残したいのは「答え」ではなく「視点」
最終的に、子どもがどんな道を選ぶかはわからない。
投資家になるかもしれないし、研究者になるかもしれない。
あるいは、まったく別の世界に進むかもしれない。
それでいいと思っている。
僕が伝えたいのは、
「こう生きろ」という答えではなく、
世界をどう見るかという視点だ。
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お金は怖いものでも、万能なものでもない
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構造を理解すれば、過度に振り回されなくなる
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選択肢は、知っている人にしか見えない
この視点さえ持っていれば、どんな道を選んでも、致命的な失敗は避けられるはずだ。
遊びから始まり、選択へつなげる
ゲームから始めて現実の経済に触れ、やがて自分で考え、選択する。
そのプロセスそのものが、教育なのだと思う。
親としてできるのは、レールを敷くことではなく、分岐点に地図を置くこと。
あとは、子ども自身が選べばいい。
それが、僕が投資家として、そして親として辿り着いた、一つの答えだ。