学力不足から偶然得られた一生ものの武器

――簿記が僕の投資哲学の原点になった理由

「もし人生をやり直せるなら、もっと勉強して良い高校に行きたかったか?」
正直に言えば、答えは NO だ。

なぜなら、僕は「学力不足」という理由で商業科に進学し、そこで簿記という一生使える武器に出会えたからだ。そしてそれは、今振り返ると偶然ではあるが、結果的には僕の人生の進路を大きく左右する決定的な出来事だった。


学力不足という「遠回り」が連れて行ってくれた場所

当時の僕は、決して勉強が得意なタイプではなかった。
テストの点数で評価され、偏差値で進路が決まる世界において、胸を張れる成績ではなかったと思う。

そんな中で進学したのが商業科だった。

正直に言えば、最初は「仕方なく」という感覚に近かった。
ところが、そこで出会った簿記が、僕の中の何かを根こそぎ変えた。


初めて「学ぶことが楽しい」と思えた瞬間

簿記を学び始めたとき、衝撃を受けた。

  • 世の中の出来事が、すべて同じルールで整理できる

  • バラバラに見えるお金の動きが、一本の線でつながる

  • 「なぜそうなるのか」が、感覚ではなく構造で理解できる

それまでの勉強は、どこか「正解を当てるゲーム」だった。
しかし簿記は違った。

現実そのものを理解するための言語だった。

「なるほど、だからこうなるのか」この感覚を、僕は簿記で初めて味わった。

そして、人生で初めて学ぶことが楽しいと心から思えた瞬間だった。


簿記は科目ではなく「世界の見方」

多くの人は、簿記を資格試験の一つだと思っている。
だが、本質はそこではない。

簿記は、世界をどう切り取るかという思考のフレームだ。

たとえば人生を簿記で見ると、こうなる。

  • 家計は一つの会社

  • 自分は個人事業主

  • 収入は売上

  • 支出は経費

  • 貯蓄や投資は資産

  • 借金やストレスは負債

こうして世界を見るようになると、感情や雰囲気ではなく、構造で物事を判断できるようになる。

これは生きる上でも、働く上でも、そして投資においても、極めて強力な視点だった。


勤める上で、簿記は「空気を読む力」になる

会社という組織も、突き詰めれば一つの財務構造体だ。

  • なぜこの施策が優先されるのか

  • なぜ現場の正論が通らないのか

  • なぜコスト削減が繰り返されるのか

これらは感情の問題ではなく、数字の問題であることが多い。

簿記的に見れば、会社の意思決定が読める。
それは単なる知識ではなく、生存能力に近い。


投資哲学の原点は、ここにある

僕の投資スタイルは、派手ではない。
一発逆転を狙うようなこともしない。

その根底にあるのが、簿記で身についた考え方だ。

  • 利益とキャッシュフローは別物

  • 成長と持続性は違う

  • 儲かっていそうと、儲かるは一致しない

  • 壊れないことが、何よりも重要

簿記を知らなければ、投資は物語になる。
簿記を知っていれば、投資は構造になる。

僕が致命的な失敗を避けてこられたのは、才能ではない。
簿記的思考がブレーキとして常に働いていたからだと思っている。


教えられなかったからこそ、気づいたこと

不思議なことに、こうした重要な学問は、基礎教育ではほとんど教えられない。

  • 金利

  • 複利

  • インフレ

  • 税金

  • 資産と負債

これらを知らないまま社会に出る人が大多数だ。

結果として、人は「働く → 使う → 不安になる → また働く」というループに閉じ込められる。

簿記とファイナンシャルリテラシーは、人生を豊かにするための学問ではなく、人生を壊さないための学問だと、今ははっきり思う。


学力不足は、実は「入口が違っただけ」

もし僕が一般進学校に進んでいたら、どうなっていただろうか。

おそらく、

  • 試験のための勉強

  • 実生活と切り離された知識に忙殺され、簿記には出会わなかった可能性が高い。

そう考えると、当時の「学力不足」は、学問の入口を間違えなかったという意味での幸運だったのかもしれない。


一生ものの武器は、偶然の顔をして現れる

簿記は、僕にお金の扱い方を教えてくれただけではない。

  • 世界を構造で見る視点

  • 感情と数字を切り分ける力

  • 壊れない選択を積み重ねる姿勢

これらすべての原点が、あの商業科の教室にあった。

人生を振り返ると、遠回りに見えた道こそが、最短だったと思えることがある。

簿記は、僕にとってまさにそれだった。