近年、日本のメディアや世間でよく使われる「富裕層」という言葉。多くの場合、その定義として「金融資産1億円以上」が用いられています。しかし、本当にそれだけで“富裕層”と言えるのでしょうか?
私には、その言葉が安売りされているような印象があります。特に、為替の動きやインフレ、実質的な購買力の変化を考慮すれば、1億円という金額の意味は、この数年で大きく変わってしまいました。
為替による価値の目減り──1億円のドル価値は25万ドル分減少
2020年当時、1ドル=107円とした場合、1億円は約934,145ドルでした。しかし2025年現在、1ドル=145円水準だと、同じ1億円は約689,655ドルです。これは、たった5年で25万ドル(≒約3,600万円)の価値が蒸発したのと同じです。
このように、日本円だけで資産を保有していると、外貨基準ではどんどん価値が目減りしていきます。
インフレと円安で、日本円の購買力は“実質半分”に
さらに最近の日本では、物価の上昇が続いています。スーパーの食料品、外食費、電気代など、あらゆる生活コストが上がっていることを体感している方も多いはずです。
感覚的には、この5年間で日本円の購買力は半分ほどになっているとすら思えます。
つまり「1億円の価値は5年前の5,000万円と大差ない」──このような状態で、「1億円=富裕層」と言えるのでしょうか?
私が考える“真の富裕層”の定義
私の考える“富裕層”とは、もっと本質的な状態です。
働かなくても残りの生涯の生活コストをまかなえること、かつ資産が毎年増え続けていくこと
つまり、「経済的自立」と「資産の拡大」を同時に満たす状態。
たとえば:
- 年間支出を20万ドル(税金含む)と見積もる
- 残りの人生を50年と仮定する
すると、必要な総資産額は:
20万ドル × 50年 = 1,000万ドル(≒15億円)
さらに、それだけで終わりではありません。そこに加えて、
- 金融資産からの利息・配当・運用益
- 不動産収入や資産性のある事業収益
などを通じて、資産を減らすことなく増やしていけること。
経済・時間・人的満足度──“生き方”としての富裕層
真の富裕層とは、ただ資産額が大きいだけでなく、
- 経済的自由(使いたいときに使える)
- 時間的自由(縛られずに動ける)
- 人的充実(信頼できる家族・仲間・社会的接点)
この3つが調和して初めて、**“満足できる人生を構築できている”**と呼べる状態になると私は考えています。
目指すべきは数字ではなく状態
「資産1億円」という金額は、ひとつの目安にはなります。ですが、今の時代においては、それは“通過点”であり、ゴールではありません。
本当に目指すべきは、働かなくても、心穏やかに、家族と笑って暮らしていける人生。
それを支えてくれるのが、“数字としての資産”ではなく、“状態としての富裕”なのだと思います。