投資家として“健やかに”と生きられる理由──

E・S・Bの存在と、リスクを恐れない思考構造

資産形成を続けていると、ときどき不思議な感覚に襲われる。

「それほどリスクを取っていないような……」
「安全志向なのに、結果的には攻めている気もする」

こうした矛盾した感覚は、多くの投資家がどこかの段階で経験するものだと思う。
だが、最近になって私は腑に落ちる理解に至った。

“リスクを恐れないのではなく、リスクの正体を理解したことでリスクに見えなくなっただけ”

ということだ。

これは、ロバート・キヨサキ氏が『キャッシュフロー・クワドラント』で何度もしつこいほど説いていたことだが、
当時の私はその深い意味を完全には理解していなかった。

だが、今になってようやく納得できる。
そして気づけば、私はすでに「I(投資家)」というクワドラント側の思考に自然と移れていたように思う。


■ 金持ちと同じことをしても金持ちになれない理由

キヨサキ氏の本には、こんな一文がある。

多くの人は金持ちがやっていることを「真似しよう」とし、
金持ちが持っているものを「持とう」とする。
しかし考え方が中流層のままなら、何をやっても中流層の結果にしかならない。

これを初めて読んだときは「そういうものか」くらいの認識だった。

しかし今は、より深く理解している。

“行動”ではなく“思考構造”をコピーしなければ結果は一致しない。

新築の家を買っても、流行りの株を買っても、FXで短期売買を真似しても、それらは「HAVE(持つ)」を真似ているだけに過ぎない。

だが本来必要なのは、

  • BE(なる)= 金持ちの価値観・思考構造になる

  • DO(する)= その思考から導かれる行動を取る

  • HAVE(持つ)= 結果として資産や自由を持つようになる

この順番だ。

私はこれを理解したことで、「なぜ自分は不安なくリスク資産を持てているのか」その理由が腑に落ちた。


■ “リスクを理解すると、リスクが消える”

金持ち父さんはこうも言っていた。

金持ちも恐怖は感じる。
違うのは、その恐怖をどう処理するかだ。
左側の人は「リスクを避けよう」と考える。
右側の人は「リスクを学び、コントロールしよう」と考える。

多くの人が投資を怖がるのは、理解していないものはすべてリスクに見えるからだ。

だが私は、暗号資産や高配当株を「危険」だと感じていない。

なぜか?

  • 長期を前提にしている

  • 余剰資金でしか投資しない

  • シンガポールという税制最強の国家に根を下ろしている

  • 法人を使い資産の流れを整えている

  • レバレッジは最小限

  • インフラ型の企業に分散投資

  • “サブルート”(第二拠点候補)を常に持っている

理解の層を厚くし、リスクをコントロールしていれば、その対象はもはや恐怖の対象ではなくなる。

つまり、

理解したリスクはリスクではなくなる。
リスクは恐怖ではなく、ただの“数値”に変わる。


■ 「安全志向なのに攻めている」という矛盾

私はどちらかと言えば慎重な性格だ。

  • 生活の土台を大切にする

  • 家族の安全第一
  • 無理なレバレッジは嫌う

  • 逃げ道(サブルート)を常に確保する

  • 安定と成長を明確に分けて管理する

にもかかわらず、資産の多くは変動の大きい株式や暗号資産に投入している。

一見矛盾しているように思える。

でも私の中では矛盾していない。

私は 「理解したうえでの攻め」 しかしていないからだ。
理解の外に出るほどの攻めはしない。
自分の枠内で最も効率的なリスクを選んでいるだけ。

だから、

安全志向のまま攻めることができる。

この状態こそ、まさに I クワドラントの投資家の特徴のように思う。


■ E・S・Bが働いてくれるから、投資家は“健やかに”生きられる

そして最近特に強く感じるのは、この感覚だ。

E(従業員)・S(自営業)・B(ビジネスオーナー)がいてくれるおかげで
私は投資に集中できている。

銀行のスタッフが働いてくれるから、配当の源泉となる利息ビジネスが回る。

通信会社のスタッフが働いてくれるから、通信インフラ企業に投資して配当を得られる。

不動産会社が動いてくれるから、REITは収益を生む。

つまり、

投資家は“社会の生産性の上に成り立つ”職業である。

これは決して悪い意味ではなく、資本主義の本質そのもの。

そして私は、インフラ企業や国営級企業に資金を提供し、彼らの事業継続に貢献するという形で社会に参加している。

だから投資家は悪ではない。
むしろ資本供給者として役割を果たしている。

そしてこの構造は、E・S・B が懸命に働いてくれているから成り立つものだ。


■ 投資家としての成熟とは、「恐怖が消える瞬間」ではなく「恐怖を理解で上書きできるようになること」

投資家の成熟は、資産額が増えた瞬間に訪れるのではない。

複利が効き始めた瞬間でもない。

“恐怖を自分で扱えるようになった瞬間”だ。

恐怖に押しつぶされるのではなく、恐怖を放置するのでもなく、恐怖を「理解に変換する」。

すると、理解できない恐怖から解放され、判断が冷静になり、長期的な積み上げに集中できるようになる。

これが BE(なる) の境地だ。


■ 投資家は「恐怖の外側」に行くのではなく、恐怖を理解して“内側”に取り込んだときに誕生する

私はリスクに強い人間ではない。
むしろ慎重だ。

しかし、慎重なまま投資家になれたのは、

  • リスクを学び

  • リスクの構造を理解し

  • リスクの外側から見られるようになり

  • リスクをコントロールできるようになったからだ

そして、E・S・B が社会を動かしてくれているおかげで、私は I としての役割に集中できる。

これは、ただの幸運だけではない。
時間をかけて積み上げた“理解”がもたらした結果だ。

日々、好きな投資に取り組めているという事実そのものが、
I クワドラントに到達した何よりの証なのだ。