――300倍を経験したあとに残った、現実的で静かな戦略
世の中には「一発逆転」や「億り人」という言葉が溢れている。
だが、実際に資産を大きく増やした人ほど、どこか淡々としていて、むしろ声は小さい。
なぜか。
それは、増やすことそのものよりも、「失わないこと」「賭けなくていい状態を作ること」の価値を、身をもって知っているからだ。
E・Sという立場の限界と、ラットレースの正体
日本においても、いわゆるクワドラントで言う E(従業員)やS(自営業) にいる限り、ラットレースから抜け出すのは正直かなり難しい。
理由は単純で、
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収入は時間に縛られる
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稼いだ瞬間に高い税率がかかる
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控除は限定的
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再投資に回せる余力がなかなか残らない
という構造になっているからだ。
「法人化すれば節税できる」という話もよく聞くが、実態のない形式的な法人は、税制メリットが薄いどころか、税務リスクを高めるだけになりかねない。
結果として、多くの人は
頑張って働く → 税金を取られる → 生活費で消える
というループから抜けられない。
これがラットレースのループと言える。
投資は「お金が働く側」に回る手段
一方、投資はまったく別のゲームだ。
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自分が動かなくても資本が働く
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時間が味方になる
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税制上の扱いも比較的穏やか
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売却タイミングを自分で選べる
うまくいけば、テンバガーやハンドレッドバガーといった、人生の構造を一気に変えるリターンが生まれる可能性もある。ただし、これは決して「狙って再現できる成功」ではない。
10倍や100倍銘柄は運の要素はも大きい。
だが、僕が思うに重要なのは当てたことではなく、途中で降りないことだと思う。
本当に難しいのは「当てる」ことではない
多くの人は、
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数倍になったら売る
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暴落で怖くなって逃げる
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周囲の声に振り回される
こうして市場から去っていく。
だが、資産を大きく育てた人の共通点はシンプルで、壊れない考え方を持っていたことだ。
全力で賭けていなかったからこそ耐えられたし、生活が人質に取られていなかったからこそ、時間を味方につけられた。そして、投資対象の価値を見通していた。
これは才能というより、構造理解の問題だと思っている。
300倍を経験したあとに思うこと
正直に言えば、
「次の300倍を狙えるか?」と聞かれたら、答えはNOだ。
そんな才能があるとも思っていないし、
無理に再現しようとすること自体が、もっとも危険だと感じている。
むしろ今は、勝ち逃げしたいという感覚の方が近い。
映画『オーシャンズ11』の中で印象に残っている言葉がある。
勝つのは親だ。子はチャンスが来たときに大きく賭けるしかない。
これは本質を突いている。
資本を持たない「子」は、数少ないチャンスでリスクを取らなければならない。
だが、資本や権力を持った「親」は、もう賭けなくても勝てる設計ができる。
現在のポートフォリオと思考整理
現在の運用は、かなりシンプルだ。
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シンガポール株
大型・配当重視で年5〜6%を狙う。
ここは資産を増やす枠というより、安定の土台。 -
BTC
成長余地を残しつつ、レンディングでインカムを得る。
値上がりしても嬉しいし、しなくても利回りが出る設計。 -
SOL、ETH
成長枠として保有。
ステーキングで保有コストを下げつつ、成長に期待しつつも期待しすぎない。 -
ドルステーブル
10年以上の生活費を常に確保。
レンディングで利回りを取りながら、追加購入などいつでも動ける状態を保つ。
この構成の目的は明確で、
年利7%前後を、無理なく、長く取り続けること。
派手さはないが、崩れにくいと考えている。
投資をやめない。でも、賭けもしない
今のスタンスを一言で表すなら、
もう賭ける必要はない。
でも、明らかに有利な取引は断らない。
市場から完全に降りるつもりもないし、常にフルインベストするつもりもない。
チャンスが来たら行く。
来なければ、何もしない。
それだけ。
お金の役割が変わった
資産が増えると、お金の意味は変わる。
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何かを証明する道具ではなくなる
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不安を消すためのものになる
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選択肢を増やすための存在になる
もはや「いくらに増やすか」よりも、
お金によって、何を自由にできるかの方が重要だ。
投資は今や目的ではなく、完全に手段になった。
ラットレースを抜けるために必要なのは、
才能でも、派手な勝負でもない。
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構造を理解すること
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壊れにくい考え方を持つこと
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賭けなくていい場所まで辿り着くこと
そして、そこに着いたあとに、
無理をしない勇気を持てるかどうか。
静かだが、これ以上ないほど強い戦略だと思っている。