年金改革法案の本質
2024年〜2025年にかけて進行中の日本の年金改革法案を見て、多くの現役世代が感じているのは、「また負担が増えるのか」という失望ではないだろうか。少子高齢化の加速に伴い、給付水準は抑えられ、保険料負担は拡大。強制加入の制度のもとで、現役世代は自動的に巻き込まれていく。
制度は「社会的連帯」や「安心の保障」という美名のもとに構築されているが、実態は国家ぐるみの賦課型システム。現役が高齢者を支える構図である限り、人口構成の歪みにより割を食うのは常に若い世代だ。
従うか、逃げて撒くか
この構造を根本から変えようと思うなら、政治の中枢に入り、制度設計のトップに立つ以外に方法はない。だがそれができないなら、長いものに巻かれず、自ら撒いて遠ざかるという選択肢もある。
実際、社会保険や年金制度は「日本に居住している」ことで強制されるものだ。逆に言えば、日本に非居住となれば加入は任意になる(国民年金は希望者のみ、健康保険は原則喪失)。
つまり、「制度から外れる」というのは、一定の条件下では合法的に可能であり、それが現代においては”非居住者”になることだと理解している。
自由と責任の狭間で
僕個人としては、こうした制度は本来、任意加入であるべきだと考えている。必要と感じたら自分で積立をし、保険に入り、老後に備える。その方が遥かに効率的で合理的だ。
だが、現実にはその自由を与えられたとしても、相当数の人々は「自由を選びつつ何もしない」という選択をしてしまうだろう。そして老後になってから困窮する。それもまた社会的事実である。
だからこそ、制度を理解し、自ら対応可能な個人には「抜ける自由」があってもよいのではないか。選択的参加。自分で道を選び、準備し、責任を取る人間には、自分の人生の舵を握る自由があってもいい。
現状で言えば、それが「非居住者になること」だと僕は認識している。
大いなる自由には、大いなる責任が伴う。
この言葉に尽きる。誰もがその道を歩めるわけではないが、歩もうとする意思には敬意が払われるべきだと思う。