「酒は百薬の長」という言葉があります。確かに、お酒は適量であればリラックス効果をもたらし、気分を高揚させ、嫌なことを一瞬でも忘れさせてくれる魔法のような存在です。しかし、その一方で、お酒は一歩間違えると人生を大きく狂わせる力も持っています。
お酒がもたらす一時的な快楽とその代償
お酒を飲むと気分が良くなり、リラックスでき、ストレスから解放されるような感覚を味わえます。寝つきを良くする効果もあり、日々の生活における小さな楽しみとして位置づけている人も多いでしょう。
しかし、その一方で、お酒には隠れたリスクがあります。筆者自身もかつてはお酒を楽しんでいましたが、飲んだ状態で湯船に浸かり気分が悪くなったり、飲酒後の集中力の低下を感じたりすることがありました。一時的に気分は良くなっても、その代償として時間を無駄にし、パフォーマンスを低下させるという悪循環に気づき、お酒を絶つ決断に至りました。
飲酒による「時間の浪費」という代償
お酒を飲むことでリラックスできるのは確かですが、それは一時的なものであり、その後に訪れる眠気やだるさ、集中力の欠如を考えると、実際には貴重な時間を浪費していることになります。さらに、飲酒後の行動や判断力が鈍ることで生じるミスや失敗も含めると、総合的には「時間と生産性を奪う行為」と言えます。
お酒はたばこよりもタチが悪い
多くの人が「たばこは健康に悪い」と認識している一方で、お酒に対しては比較的寛容な態度を持つことが多いようです。しかし、筆者は「お酒はたばこよりもタチが悪い」と考えています。
タバコの悪影響は「じわじわ」、お酒の悪影響は「一瞬」
たばこは吸い続けることで肺や心臓に悪影響を与え、長期的な健康被害をもたらします。一方で、お酒は短期間で劇的な悪影響を引き起こすことがあります。飲酒によって意識が朦朧とし、理性を失うことで、一瞬の判断ミスが取り返しのつかない事態を引き起こす可能性は周知の事実です。
たとえば、飲酒運転による事故や飲酒による暴力事件など、お酒が引き金となって発生する悲劇は後を絶ちません。これらはたばこが引き起こす健康被害とは異なり、「一瞬の判断ミス」が人の人生を大きく狂わせてしまうのです。
法律も救ってはくれない──飲酒による責任は逃れられない
お酒を飲むことで人は意識が朦朧とし、正常な判断ができなくなります。その結果として犯罪行為や事故を引き起こしてしまうことがありますが、たとえ飲酒の影響であっても法的責任から逃れることはできません。
刑法第39条の適用外
日本の刑法第39条では、心神喪失状態で行った行為は罰しない、心神耗弱状態で行った行為は刑を減軽する、とされています。しかし、飲酒による酩酊状態での犯罪行為にはこの条項は適用されません。つまり、「酔っていたから覚えていない」「酔っていて判断を誤った」という言い訳は通用しないのです。
仮に飲酒の影響で軽率な行動を取り、他者に危害を加えた場合その代償は非常に大きく、情状酌量の余地もなく最悪の場合、自分の人生だけでなく他者の人生までも破壊してしまいます。
お酒は人生を破壊しうる存在
お酒は楽しみ方を誤ると、自分自身だけでなく、他人の人生にも深刻な影響を与えるリスクを持っています。飲み会などの場に参加することは、単に「楽しむため」だけでなく、「自ら危険性に飛び込む行為」であることを認識すべきです。
自分が加害者になるリスク
飲酒による意識の混濁は、自分を加害者に変えるリスクを抱えています。一瞬の判断ミスや軽率な行動が、取り返しのつかない事態を引き起こしかねません。
自分が被害者になるリスク
また、お酒の席では、他者の酔った勢いによって危害を加えられるリスクもあります。飲み会などの場に足を運ぶこと自体が、自分を危険な状況にさらす可能性があるのです。
「酒は飲んでも呑まれるな」は理想論
「酒は飲んでも呑まれるな」という言葉は、お酒のリスクを表現したものとして有名ですが、実際には多くの人がその境界を守ることができてないように感じます。お酒によって自制心が失われると、「呑まれないようにする」意識そのものが弱まるため、結果として呑まれてしまうのです。
飲酒を完全にコントロールすることは非常に難しく、むしろ「絶ってしまう」ことで、リスクをゼロにすることが最も効果的な対策と言えます。
お酒を絶つことは自分と周囲を守る選択
お酒には一時的な快楽やリラックス効果がありますが、その代償として大きなリスクを伴います。飲酒による不注意や暴力、事故などのリスクを考えると、お酒を絶つことは自分自身を守るだけでなく、周囲を守る行為でもあります。
「酒は飲んでも呑まれるな」という理想を追い求めるよりも、「酒は絶つ」という選択をすることで、人生をより安定させ、貴重な時間を無駄にすることなく充実させることができるでしょう。
お酒を絶つことは決して「楽しみを捨てる」ことではなく、「人生をより良くするための選択肢」であると筆者は強く感じています。